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古今和歌集とは何?選者は誰?家風や歴史的背景、新古今和歌集との違い

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小学校で習ったことのある、古今和歌集。

なんて読むのでしょうか?

わたしは恥ずかしながら、「ここんわかしゅう」だとずっと思っていました。

これ、「こきんわかしゅう」と読むそうです。

古今和歌集とは、いったいなんなのでしょうか?

その選者は、だれなのでしょうか?

家風や歴史的背景、新古今和歌集との違いについて、解説していきます。

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古今和歌集ってなに?

古今和歌集とは、平安時代初期に編さんされた、日本初の勅撰和歌集*になります。

和歌とは、ひとことで言うと、日本古来の形式で書かれた詩、ということなのですが、分かりやすいのは、五・七・五の俳句、そのあとにさらに七・七を付けた短歌、それを何度か繰り返す長歌、などが挙げられますね。

ただし、この古今和歌集は、ほぼすべて短歌で構成されています。

古今和歌集は、醍醐天皇の命により、延喜5年(905年)ごろに完成されたとされています。

全20巻で1,111首もの歌が含まれている、壮大な和歌集なのです。

*勅撰和歌集―天皇や上皇の命により編さんされた歌集のこと。

家風や歴史的背景

古今和歌集が編さんされた、平安時代は、貴族の時代で、人々は優雅な暮らしをしていました。

古今和歌集の選者4人も、そのような貴族の家風です。

そして、当時の日本人は、奥ゆかしさや、刹那(せつな)を大切にしており、恋愛であれば、すれ違う男女は、決して結ばれないような、はかない恋がうたわれています。

古今和歌集の選者

古今和歌集は、次の4人の、個性豊かな選者によって、編さんされました。

紀貫之(きのつらゆき)

古今和歌集の編さんの、中心となった選者で、日本文学史上において、少なくとも歌人として最大の敬意を払われてきた人物である、と言えます。

古今和歌集には101首、それ以外の勅撰和歌集を合わせると、合計435首もの作品が入選しており、これは歌人の中で最高数です。

その和歌の腕前は、非常に尊重されていたらしく、天慶6年(943年)正月に大納言(当時の政府の重役)であった藤原師輔が、正月用の魚袋を父の太政大臣・藤原忠平に返す際に添える、和歌の代作を依頼するために、わざわざ貫之の家を訪れたという逸話があるほど。

現存する、日本の完成した日記文学として、最古のものである「土佐日記」の著者としても、有名です。

貫之の作品:

「明日知らぬ わが身と思へど 暮れぬ間の 今日は人こそ 悲しかりけれ」

意味:

こういう私だって、明日の運命が分らないことは知っている。

だが、こうしてまだ生きている、今日という間は、死んだ彼の事が悲しくて、他の事を考える余裕が無いのだ。

「紀友則が身まかりにけるとき(亡くなった時)読める」との脚注があり、いとこの友則を悼む歌です。

紀友則(きのとものり)

上記、紀貫之の、いとこにあたる人物。

古今和歌集には45首の歌を、その他の和歌集と合わせると64首の歌を、残しています。

友則は、古今和歌集の編さん中に、完成を見ずして、没してしまいました。

古今和歌集 巻第十六(哀傷歌)の部分に、先述の、貫之が友則を悼んで作った歌が、残されています。

友則の作品:

「春霞かすみて 往にし 雁がねは 今ぞ 鳴くなる 秋霧の上に」

君主の住む宮中の、秋の歌合(うたあわせ)での逸話です。

歌合とは、右列と左列に分かれて、歌を競いあう大会のこと。

このときのお題は「初雁」。

左列で「春霞かすみて…」と友則が歌い始めると、右列の人たちは、友則がお題を間違えたと思い(秋なのに春霞)、クスクスと笑い始めます。

しかし「…秋霧の上に」と歌い終えると、友則の歌のその見事な展開に圧倒されたみなは、面目なく、だまりこんでしまいました。

このできごとが、友則の出世のきっかけになったと、言われています。

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

当時の地方官を歴任した人物。

歌人としても活躍し、平安時代の和歌の名人である、三十六歌仙の一人に数えられています。

古今和歌集はじめ、勅撰和歌集への入選は194首を数え、宮廷歌人としての名声は高いものでした。

凡河内躬恒の作品:

「心あてに 折らばや 折らむ 初霜の 置きまどはせる 白菊の花」

意味:

秋の深まりの中で、白菊と霜の見分けが、つかなくなってしまった。

手当たり次第に折るならば、折ることもできるだろうが。

「初霜」と「白菊」の醸しだす、一面真っ白の世界が、思いに浮かぶこの句は、百人一首にも選ばれています。

壬生忠岑(みぶのただみね)

凡河内躬恒同様、三十六歌仙に数えられた歌の名手でしたが、4人の選者の中で、彼だけは身分の高い家風ではありません。

記録では「先祖不見」とされており、身分の低い下級武官の出身でした。

しかし、家風にかかわらず、一流と賞される歌の腕前により、古今和歌集の選者に抜擢されたのです。

壬生忠岑の作品:

「み吉野の 山の白雪 ふみわけて 入りにし人の おとづれもせぬ」

意味:

世間から逃れて、吉野山の白雪を踏み分けて入った人が、帰って来ない。

そればかりでなく、便りもくれない。

いったいどうしたなのだろうか。

寒さの厳しい山で住む友を、思いやる気持が伝わってくる歌です。

新古今和歌集との違い

同じ勅撰和歌首として有名な、新古今和歌集とは、どう違うのでしょうか?

まず、編さんされた時期ですが、古今和歌集が平安時代だったのに対し、新古今和歌集は、約300年後の、鎌倉時代に編さんされました。

歌の数も、1979首と、古今和歌集よりさらに多くなっています。

作風は、古今和歌集が繊細優美で、女性的と言われているのに対し、新古今和歌集は、唯美的、技巧的、幻想的などと言われています。

      

古今和歌集まとめ

  • 古今和歌集とは、平安時代初期に編さんされた、日本初の勅撰和歌集
  • 選者は、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人。
  • 古今和歌集の編さんは平安時代、新古今和歌集が編さんされたのは鎌倉時代

ということでした。

有名な和歌集は、「古今和歌集」・「新古今和歌集」以外にも、「万葉集」「後選和歌集」「拾遺和歌集」「金葉和歌集」など、たくさんあります。

古代のロマンに、想いはせながら、順によんでみてはいかがでしょうか。

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